福山城

福山城ー昔風景と史跡

広島県福山市の福山城は元和五年(1619)八月に芸備四十九万八千石の領主福島正則にかわって備後十万石の領主として大和郡山城より転封されてきた。水野家は徳川譜代の重臣で、家康の生母は勝成の父忠重の姉にあたり、家康と勝成は従兄弟同士である。福山城は元和六年のはじめに着手され築城の普請は、年末にはほぼ完成した。城の正式名称は「鉄覆山朱雀院久松城」と呼ばれている。後世、久松城のことを雅名で「葦陽城」といっている。