福山市沼隈町ー外常石

 

福山市沼隈町ー外常石の史跡

市町村制発布の時能登原、草深、常石三村を合し、敷名なる千年藤の故事により村名に命ず。海岸に四個の大石あり、之を古くより常石、又連石といふ、伊勢大輔家集に和歌あり。六郡志に「八幡宮行廟の東の濱に大石四つあり、是を常石といふ、如何なる故か知るものなく、是を以て村の名とせり、福島家の時まで一村なりしが、水野家に至りて内外の二村と分けられたりと云」とあり、明治八年(1875)合して一村となす。福山ヨリ三里半午未二アタル村東西九町南北十五町榜示一枚アリ南邊海二瀕ス。六郡志に八幡宮行廟の東の濱に大石四つあり是を常石といふいかなる故か知ものなし是を以て村の名とせり福島家の時まては一村なりしか水野家にいたりて内外の二村とわけられたりと云。